性善説はやめて性悪説を前提としたシステム作りを
たぶんネットのどこかで聞いた話なのですが
昔のアメリカでは空港の管制官が飛行機を離陸するかどうかについて
権限を持っていました。
悪天候でパイロットが飛びたくないという時も管制官が離陸するように
命令した場合、パイロットは従わないといけません。
その結果、事故が多発します。パイロットは必至に訴えて
管制官の良識に期待しますがそれでも全く態度は改まりません。
しかしある規則をつけたとたんに管制官の態度は改まりました。
それは
「パイロットが希望した場合、離陸許可を出した管制官はその飛行機に同乗する」
というものでした。
この規則を作ってからは無茶な離陸許可は出なくなり事故は激減したそうです。
世の中のシステムは性善説に基づいて作らているものと性悪説に基づいて作られているものがあると思います。
説明すれば分かってもらえるという前提のもとに今までは性善説に基づいて作られているものの方が良しとされる風潮がありました。
性悪説に基づいて作られているものの方がチェック機能をつけるため
余分にコストがかかっていると思います。
ですがこれからは性悪説に基づいてシステムチェックと改善については
システムにあらかじめ規則として組み込んでおいた方が良いように思えます。
僕はそこまで人間を信じていないわけではないですが
人間は弱いため、ルールで縛らない場合楽な方に流されてしまうこともありますし、
弱い人間は強い悪に対して自分の意志で正義を貫くことができないんです。
ですが、規則としてできないというようにしておけば正義は貫きやすいですし
悪も付け入るスキが見つけにくくなるでしょう。
最近のやりたい放題な人達の言動を見ているとそんなことを思ってしまいます。